春来たりて草自ずから生ず

 これは、「兀然(こつぜん)として無事に坐すれば、春来たりて草自ずから生ず」という、禅語の下の句です。
 「兀」は、じっとして動かない様子。諸々のはからいを捨て去って、ひたすらに坐禅に励めば、春に自然に草木が芽吹くように、必ず悟りを開くことができるという意味です。

 本堂の裏庭に、今年も芝桜やスズランの一種でしょうか、可憐な花々が咲き始めました。

スズランの一種か
スズランの一種か
 
しばざくら

しばざくら

 下は日吉ダムによって出来た、天若湖(あまわかこ)です。
 遠山の広葉樹の若葉と針葉樹の濃い緑が、みごとなコントラストを描いていました。

ダム湖遠景

ダム湖遠景

カテゴリー: 禅語あれこれ — 住職 8:48 PM  コメント (0)

RSK托鉢 ~三輪空寂~

 去る12月3日、兵庫県の柏原市(かいばらし)に於いて、恒例のRSK(京都両丹教区青年僧の会)の「助け合い托鉢(たくはつ)」が行なわれました。当日は、絶好の托鉢日和。12名の会員が参加しました。
 托鉢とは、元はインドで修行者が城市や村落で食を乞う行(ぎょう)で、中国や日本の禅寺にも伝えられました。
 臨済宗の僧堂(修行道場)では、坐禅・作務と並び、乞食行(こつじきぎょう)として、大切な修行の一つに数えられます。現在では、お金やお米を布施していただくことが多くなっています。
〈参加会員で記念撮影〉
〈参加会員で記念撮影〉

 今回は、京都両丹教区の第5部のご寺院の協力をいただき柏原で行ないました。事前に案内を配布していただいたおかげで、多くの浄財をいただくことができました。
 この浄財は、大本山妙心寺の「おかげさま献金」に送らせていただき、災害等の義援金として国の内外に寄付させていただきます。

〈軒鉢する会員〉
〈軒鉢する会員〉

 托鉢の眼目は、「三輪空寂(さんりんくうじゃく)」です。浄財を施す人(施者=せしゃ、能施とも)と、それを受ける人(受者=じゅしゃ、所施とも)、そして施されるもの(施物=せもつ)の3つが、空(くう)であり、清浄(しょうじょう)であることが大切です。
 「私がこれを誰それに布施するのだ」という思いがあるうちは、布施された浄財は、我執(がしゅう)にまみれた不浄のものでしかない。さらりと渡してさらりと去り、何の思いも残さないというのが最上の布施であるとされます。

〈ご喜捨を受ける会員〉
〈ご喜捨を受ける会員〉

 托鉢は、一軒一軒の玄関で『四弘誓願(しぐせいがん)』を読む、軒鉢(けんぱつ)の形式で行ないました。
 小さいお子さんから、お年寄りまで、多くの方にご喜捨いただきました。

〈托鉢を終え雁行する会員〉
〈托鉢を終え雁行する会員〉

 柏原の皆さん、本当に有難うございました。  合掌 m(_ _)m

カテゴリー: つれづれ日記, 禅語あれこれ — 住職 8:57 AM  コメント (0)

房舎施(ぼうしゃせ) ~無財の七施より~

 以前のブログで、”無財の七施”から「身施(しんせ)」を取り上げました。
 その後、大阪のNHKテレビで、難病の患者を世話する家族のために、非常に安価で宿泊できる部屋を提供する、「京都サポートハウス」の活動がレポートされました。
 この活動は、まさに”無財の七施”の「房舎施(ぼうしゃせ)」に当たると思いますので、紹介させていただきます。

 ”無財の七施”とは、お金にはかえられない七つの菩薩行(ぼさつぎょう)のことをいいます。
   ①身施(しんせ)=身体による奉仕をすること。 
   ②心施(しんせ)=人や他の存在に、感謝の心で接すること。
   ③眼施(げんせ)=やさしいまなざし。
   ④和顔施(わげんせ)=おだやかで柔和な笑顔で人に接すること。
   ⑤言辞施(ごんじせ)=思いやりのこもった温かい言葉をかけること。
   ⑥床座施(しょうざせ)=自分の席をゆずること。
   ⑦房舎施(ぼうしゃせ)=我が家を一夜の宿に貸すこと。
                  転じて、温かいおもてなし。

〈真紅の紅葉〉
〈真紅の紅葉〉

 7番目が、房舎施(ぼうしゃせ)です。
 「京都サポートハウス」は、難病のお子さんを幼くして亡くされた方が主催される活動です。ご自身の経験から、企画されたとテレビは伝えていました。
 その内容は、京都大学病院の近くにアパートを用意し、入院されている患者の家族が、自炊して滞在できる部屋を提供するというもので、部屋の使用料は、日額で1000円。患者家族の経済的な負担を、大きく軽減してくれるシステムです。
 しかし、部屋を用意するといっても、費用の掛かることです。一体、どのように会を運営しておられるのでしょうか。報道によれば、不要になった本やCDを無償で提供してもらい、それをネットオークションで販売、その収益で運営するということのようです。
 我が家ではないものの、困っている人々に安価で宿を提供しようという試み。まさに、文字通りの房舎施であると言えます。
 「京都サポートハウス」を利用させてほしい、あるいは、運営資金の一助に不要になった本やCDを提供したいと思われる方は、一度、下記にアクセスしてみてください。

 京都サポートハウス   http://blogs.yahoo.co.jp/ryhnk143

カテゴリー: 禅語あれこれ — 住職 10:37 AM  コメント (0)

身施 ~「無財の七施」から~

 先日、80名を超える檀家さんが境内の清掃奉仕をしてくださったことは、前回のブログに記しました。
 このように、身体を使った奉仕は身施[しんせ]といい、「無財の七施[むざいのしちせ]」という七つの善行・修行のひとつに挙げられています。
 無財というのは、「お金には代えられない尊い行ない」を意味します。「無償の奉仕」と言えば分かりやすいでしょうか。心がけや気持ちひとつで出来る善行と理解していただけばよいと思います。
 
 無財の七施とは、次の七つをいいます。
  ①身施(しんせ)
  ②心施(しんせ)
  ③眼施(げんせ)
  ④和顔施(わげんせ)
  ⑤言辞施(ごんじせ)
  ⑥床座施(しょうざせ)
  ⑦房舎施(ぼうしゃせ)
 
 身施は例えば、皆で使っている排水溝を共同で清掃することや、ボランティア活動に参加することがこれに当たります。
 
シュウメイギク

シュウメイギク

 ところで、私は毎朝のお勤め(朝課)の後、門前の国道27号線のゴミを拾っていますが、一番多いゴミはタバコの吸い殻、次に空き缶です。車の窓から吸い殻や空き缶を投げ捨てる行為、これはなかなか減りませんね。

 JTの公告に「あなたが気づけばマナーは変わる」というコピーがありますが、もっともな事だと思います。
 歩行者も自動車も利用する道路です。たとえボランティアに参加出来なくとも、”ポイ捨てはしない”というマナー・ルールは守りたいものです。

カテゴリー: 禅語あれこれ — 住職 2:55 PM  コメント (0)

放られたところで起きる小法師かな

 先日、ある研修会で出合ったすばらしい言葉です。
 放[ほう]るは投げること、小法師[こぼし]は起き上がり小法師で、七転び八起きのあのダルマさんのことです。
 「投げられた…」と言う場合もありますが、私は、山田無文老師の表記を使わせていただきます。

ダルマは達磨大師

 ダルマの底には重りがあるため、どんなに倒しても自然に起き上がります。中国では倒れても倒れても起き上がるその姿から、不倒翁[ふとうおう]という名のおもちゃとして親しまれているそうです。
 臨済宗を中興した江戸時代の白隠[はくいん]さんは、禅宗の初祖である達磨大師[だるまだいし]を起き上がり小法師にたとえられたので、ダルマは禅宗の象徴として世に知られることになりました。

みんなちがって、みんないい

 さて、私たちは、どこで生れどこで学び、どこで働きどこに住み、どんな人と縁を結ぶか、その環境や境遇は一人ひとりみんな異なります。
 「となりの芝生は青く見える」という言葉がありますね。人をうらやむことですが、人をうらやんでばかりの人生は何となく寂しい気がします。
 みんな違う環境にいても、世界にただ一人の存在に変わりはありません。あなたも私も同じ、「大切ないのち」を生きています。みんな違っていて、みんな大切なのですから、他との比較に何の意味があるでしょう。

もいちど転んで、また起きる

 禅には、「随処[ずいしょ]に主[しゅ]と作[な]れば、立処[りっしょ]皆[みな]真[しん]なり」という言葉があります。(随処作主、立処皆真)。
 どこに居[い]ようとも、周りに振り回されず、主人公としての主体性を自覚してゆくならば、その時その場に真実を見い出すことができる、という意味です。
 主体性を持って何事も精一杯に励むこと、とも言えるでしょう。但し、マイペースを忘れないでくださいね。
 人生、いろいろと挫[くじ]けることも多いですが、また起き上がればいいのです。ダルマさんのように「もいちど転んで、また起きる」でいきましょう。

カテゴリー: 禅語あれこれ — 住職 10:06 PM  コメント (0)

話すことは、放[はな]すこと

 誰しも心に、大なり小なり悩みを持って生きているのではないでしょうか。その悩みを抱えたままでは、心が病んだり身体に変調をきたすことがあるものです。どうにかしてその悩みを解決したいと思う時、「話すことは、放すこと」という言葉に出会いました。

身心一如[しんじんいちにょ]

 「身心一如」という言葉が、『坐禅儀[ざぜんぎ]』という本に出てきます。これは、肉体と精神とは一体で、それぞれ別々のものではないという意味です。悩みを抱えたままでいると心が病んでくる。するとやがて身体も病んでしまう。これは経験のあるところでしょう。

身[からだ]と呼吸と心を調[ととの]える

 悩みにはいろいろあると思いますが、心を落ち着かせることによって解決できるものもあると思います。ご本山の妙心寺には「生活信条」があり、その第一句に「一日一度は静かに坐って、身と呼吸と心を調えましょう」と記されています。
 心がさまざまな雑事に追われ、「心ここにあらず」という状況に陥ってしまうと、悩みも自然、多くなります。せめて一日5分でもいい、身体と呼吸と心を調えることが必要になってきます。身体と心は一体です。呼吸も含めた身体が落ち着かなければ、心を落ち着かせることはできません。

話すことは、放すこと

 信頼できる人に、自分の悩みを聞いてもらう。聞いてもらうことで、心が軽くなったという経験はありませんか?。
 人に話すことは、自分の心を悩みから解き放すことになる。ですから、「話すことは、放すこと」と言えるのだと思います。
 例えば悲しい時を思い出してください。泣くのを我慢していると、とても苦しいですが、思いきり泣くことによって、少し心が楽になったことがありませんか?。それに通じるのだと思います。

毎月8日はお薬師さまの縁日

 もし、悩みを打ち明ける相手が見つからないのであれば、仏さまに打ち明けてはどうでしょう。今日は10月8日。毎月8日は、お薬師さまの縁日です。お薬師さまは、人々の身体や心の病を癒すという「願[がん]」をたてられた仏さまです。お薬師さまなら、あなたの悩み苦しみを、そっと静かにひたすら聞いてくださいます。
 自分ひとりで、悩みを抱えていては身体に毒です。理不尽なことは世の中にいっぱいありますし、悩みは尽きることがありません。
 どうぞ、仏さまに悩みを打ち明けてください。悩み苦しみはお寺に置いて、心を軽くしてください。

カテゴリー: 禅語あれこれ — 住職 12:53 PM  コメント (0)