第18回 いきいき羅漢クラブ

 未明まで降り続いた雨も上がった26日早朝、第18回のいきいき羅漢クラブを開催しました。
 今回は、法話と坐禅・朝粥の会でした。今回は法話というより、僧堂(修行道場)で朝と昼に食事をいただく時にお唱えする偈文(げもん)のひとつ、「五観(ごかん)の偈」についてお話しました。
(五観の偈)
 一には功の多少を許(はか)り彼の来処を量(はか)る
 二には己が徳行の全欠を忖(はか)って供(く)に応ず
 三には瞋(しん)を防ぎ過貪等(とがとんとう)を離るるを宗(しゅう)とす
 四には正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり
 五には道業を成(じょう)ぜんが為に応(まさ)に此の食を受くべし

 この五つです。自分の功徳の多少を思量し、修行に励むためにこの食事をいただくのだという、自己反省と感謝の気持ちでお唱えするものです。
 ところで、四つ目に「良薬」とありますが、お粥をいただく時の「喫粥(きっしゅく)の偈」という偈文に、「粥有十利」(粥に十の利あり)という言葉が出てきます。
 『禅学大辞典』を調べてみると、確かにお粥には十の効能があると記されていました。
(お粥の十利)
  ①色=体の色つやがよくなる。
  ②力=気力が増す。
  ③寿=長命となる。
  ④楽=過食とならず体が安楽となる。
  ⑤詞清弁=言葉が清く爽やかになる。
  ⑥宿食除=前に食べたものが残らず胸やけしない。
  ⑦風除=風邪をひかない。
  ⑧飢消=消化がよく栄養となって飢えを消す。
  ⑨渇消=のどの乾きを消す。
  ⑩大小便調適=便通がよくなる。
 お粥さんを食して、どうぞご利益を授かってください。

 写真は、本堂の扇垂木(おおぎたるき)に作られた”つばめの巣”です。今年も元気なつばめ達がやって来ました。

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第16回 いきいき羅漢クラブ報告

 3月8日の日曜日、第16回のいきいき羅漢クラブを開催しました。
 今回は、お彼岸を控え、般若心経を日本語でお唱えする内容としました。具体的には、和尚の有志で作った「和讃型 摩訶般若波羅蜜多心経」を読誦しました。
 普段、読誦する般若心経の経名には、「波羅蜜多」という言葉がありますね。これは、インドの古い言語で「到彼岸(彼岸に到る)」という意味の「パラミータ」という音が、そのまま漢字にあてられたものです。
 「摩訶」には、「偉大な」という意味があり、「般若」は、「智慧」。「心」は、「肝心な」。「経」は、「教え」と訳せます。
 「摩訶般若波羅蜜多心経」で、「偉大なる智慧をもって悟りの岸に到る肝心な教え」という意味になります。
 お経の内容は奥深く、とても短時間で説明できるものではありません。今後も継続して、般若心経をじっくり味わってゆきたいと思います。
 
クリスマスローズ

クリスマスローズ

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第15回 いきいき羅漢クラブ

 涅槃会と写経の会

〈写経する参加者〉

 2月15日は、約2500年前、お釈迦さまが入滅された涅槃会(ねはんえ)に当たります。16名の皆さんと涅槃会をお勤めし、報恩のため写経を行ないました。
 涅槃とは煩悩の炎が消え尽きたお悟りの状態を云います。肉体が有りながら涅槃を得た状態を有余涅槃(うよねはん)、肉体も滅した状態を無余涅槃(むよねはん)と云い、般涅槃(はつねはん)とも云います。
 当山には、今から200年前の文化5年(1808)に画かれた涅槃図があり、お釈迦さま入滅の様子を今に伝えています。
 中央に、頭を北に面を西に向け、右脇を下にした涅槃のお釈迦さまが画かれています。これは頭北面西(ずほくめんせい)と云い、亡くなった人を「北枕」に寝かせる起源ともなりました。
 周りには、お釈迦さまの入滅を悲しむ菩薩たち、仏弟子、鬼神、動物や虫までもが画かれています。
 入滅の場所はクシナガラ城の郊外、煕連河(きれんが)の畔、沙羅双樹の林には満月が天に輝いています。
 画面の左上からは、お釈迦さまの母・マヤ夫人(まやぶにん)が降りてきています。泣いておられる訳は、お釈迦さまのために薬を入れた袋を投げましたが、間に合わなかったためです。沙羅の木の枝に掛かる赤い袋が薬の入った袋で、いわゆる、「投薬」という言葉の由来ともなりました。

〈宝住寺所蔵の涅槃図〉

〈宝住寺所蔵の涅槃図〉

自灯明、法灯明

 お釈迦さまの最後の教えは、『遺教経(ゆいきょうぎょう)』というお経に記されています。
 「我が壊身(えしん=肉体)を見るものは、我を見るものにあらず。正法に目覚むるものこそ、常に我を見るものなり」、と言い遺されました。
 『法句経(ほっくきょう)』には、「おのれこそ、おのれのよるべ。おのれをおきて、たれによるべぞ。よくととのえし、おのれにこそ、まことよるべき、よるべをぞえん」、ともあります。
 お釈迦さまの法(おしえ)を灯火(ともしび)とし、しっかりと修行した自己を灯火としてゆけよ、との遺言です。
 涅槃会に当り、あらためてお釈迦さまの大いなる慈悲の心にふれることができました。

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第14回 いきいき羅漢クラブ

 1月10日は臨済宗の宗祖である臨済禅師(りんざいぜんじ)、17日は修行道場(僧堂)の規則を作られた百丈禅師(ひゃくじょうぜんじ)の命日に当たります。
   臨済禅師= ? ~868年1月10日示寂 (塔記による)
   百丈禅師=749~814年1月17日示寂
 そこで今回のいきいき羅漢クラブでは、お二人の祖師への報恩のため法要をお勤めし、坐禅を行ないました。
 掲載した写真は、愛知県の定光寺に所蔵される、白隠禅師が画かれた臨済禅師像のレプリカです。賛は左から読みます。
  客に逢うては瞋拳(しんけん)を振るい
  人を看(み)ては乱(みだ)りに喝咄(かっとつ)す
  堂々たる骨相(こっそう)は秋霜(しゅうそう)よりも冷(ひや)やかなり
  惜(お)しむべし斯(こ)の人にして斯の疾(やまい)有(あ)るを
臨済禅師像
臨済禅師像

 白隠禅師の賛では、逢う人逢う人にむやみに拳を振るい乱喝(臨済の四喝)を吐くという、臨済禅師の手荒い指導(接化)の手段を、困った病とけなしているように読み取れます。
 しかしこれは、禅宗独特のレトリック(修辞)で、抑下(よくげ)の托上(たくじょう)といい、逆に臨済の活作略(はたらき)を称賛しているのです。

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いきいき羅漢クラブ#13 「白隠忌と写経の会」

 12月11日は、禅の要を解りやすく説いた『坐禅和讃』で知られる、白隠禅師(はくいんぜんじ)の命日です。第13回のいきいき羅漢クラブは、この白隠さんの法要と併せ、13名が参加して写経の会を行ないました。
 
〈白隠禅師の自画像〉

〈白隠禅師の自画像〉

 上の写真が白隠さんの自画像です。画の上には自作の賛があります。賛に向かって左上に関防印(かんぼういん)がありますから、そちらから読み始めます。

千佛場中千佛の嫌と為り (せんぶつじょうちゅう せんぶつのけんとなり)
群魔隊裡群魔の憎と為る (ぐんまたいり ぐんまのぞうとなる)
今時默照の邪党を挫き (こんじ もくしょうのじゃとうをくじき)
近代断無の瞎僧を鏖にす (きんだい だんむのかっそうをみなごろしにす)
者般醜悪の破瞎禿 (しゃはん しゅうあくのはかっとく)
醜上醜を添う又一層 (しゅうじょう しゅうをそう またいっそう)

 これは、徹底的な見性(けんしょう=悟り)を主張する白隠さんが、当時広がっていた盤珪禅師(ばんけいぜんじ)の亜流である「平実禅(へいじつぜん)」と、隠元禅師(いんげんぜんじ)の流れを組み「持戒と念仏で事足りる」とする一派を邪党と評し、徹底克服するという覚悟が表わされています。

〈心静かに写経する皆さん〉
〈心静かに写経する皆さん〉

 それにしても、ギョロッと大きく見開いた眼と大きな肩が印象的です。白隠さんの容貌について弟子の東嶺円慈(とうれいえんじ)は、虎視牛行(こしぎゅうこう)と表現し、虎のように眈々(たんたん)とにらみ、牛のようにのっしのっしと歩く。また、機鋒峻捷(きほうしゅんしょう)とも記し、白隠さんの姿を見ただけで修行者は震えあがり、近より難い思いにかられたと伝えています。

〈画面奥が白隠禅師の自画像〉

〈画面奥が白隠禅師の自画像〉

 白隠さんの命日に当り、その優しさと厳しさを、あらためて考えさせられました。

カテゴリー: いきいき羅漢クラブ — 住職 11:01 AM  コメント (0)

いきいき羅漢クラブ #11

 10月26日の日曜日、第11回の「いきいき羅漢クラブ・写経の会」を行ないました。イス席希望の方も多くありましたので、全員がイスとテーブルでの写経となりました。

 写経はこの頃ブームになっています。その効用は、
   ①心を清浄[しょうじょう]にする。
   ②腦を活性化する。
   ③集中力・忍耐力をつける。
   ④字が上達する。
等と世間でいわれていますが、何より「心を落ち着ける」ことではないでしょうか。

 ところで、最近のテレビを視ていると、裸でドタバタする下品なバラエティー番組ばかりが横行しています。50年も前、大宅壮一氏が、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう、と批判されたことがいよいよ現実になってきたようです。

 この時代にあって、写経のように身体と心を一つに落ち着かせること、禅語では身心一如[しんじんいちにょ]といいますが、それが今ほど求められている時代はないと感じます。

 参加された皆さんは、馴れてきたこともあるのでしょう、一時間余りで全員写し終えました。最後に、各自で写した般若心経を、ゆっくり噛みしめるようにお唱えし閉会しました。
 心の平安を求める方、是非、一度ご参加ください。

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第10回・いきいき羅漢クラブ

 13日の午前7時から9時まで、第10回目の「いきいき羅漢クラブ」を行ないました。
 このクラブは、特に入会の条件も入会金もなく、興味のある会にご参加いただくという自由なシステムのクラブです。
 今回は、「座禅・講話・朝がゆの会」として行ない、講話のテーマは「開経偈[かいきょうげ]」というお経にしました。これは、お経を読む心得を示した聖句[しょうく]で、読経の初めにお唱えするものです。意訳した内容を下に記します。

  開経偈
   無上甚深微妙法 (この上もなく深き妙なる法[のり]は)
   百千万劫難遭遇 (永遠[とわ]を経るとも逢いがたし)
   我今見聞得受持 (我れ今聞き得て心に持[たも]てり)
   願解如来真実義 (願わくはみ仏の教えをさとらんことを)

野ぼたん
野ぼたん

百千万劫 [ひゃくせんまんごう]

 「劫[ごう]」というのは非常に長い時間の単位です。劫を説明するのには、いろいろのたとえ話があります。
 その一つが、「芥子劫[けしごう]」という話です。一由旬[いちゆじゅん]四方の立方体(城)といいますから、現在の14.4km四方の立方体となりますが、その立方体にあの小さな小さな芥子粒[けしつぶ]を満たし、百年に一度、ひと粒づつ取り出して、そのすべての芥子粒が無くなっても終わらないほどの時間を「一劫[いちごう]」といいます。
 その一劫が百千万集まった時間を、ここでは「百千万劫[ひゃくせんまんごう]」と言い、気の遠くなるほどの永遠の時間として表現しています。

仏法聞き難し [ぶっぽうききがたし]

 私たちは、自分の意思でこの時代のこの場所に、男性あるいは女性として存在することを選んで生れてきたのでしょうか?。そんな人は誰もいないでしょう。そもそも、人として今ここにいることが奇跡的なことなのです。
 そうだとすれば、人として生れ有り、仏教という教えに出逢うこと、これも奇跡的なことなのです。ですから、「永遠を経るとも逢いがたし」と言い、「仏法聞き難し」とも言われるのです。
 現代の日本は、ナゼか殺伐[さつばつ]としています。物質的に豊かになったのと反対に、心は荒[すさ]んできたように感じます。殺伐とした時代だからこそ、私たちは心の安らぎ(=安心[あんじん])を持ちたいものです。

 次回の「いきいき羅漢クラブ」は、羅漢山宝住寺のトップページでご案内しますので、どうぞチェックしてみてください。
 一期一会[いちごいちえ]の心でお待ちしています。

カテゴリー: いきいき羅漢クラブ — 住職 5:34 PM  コメント (0)