宝住寺の歴史

羅漢山宝住寺の名の由来

釈尊の滅後800年を経て、現在のスリランカ(旧セイロン)に出た慶友尊者(ナンダミタラさま)は、その著『法住記[ほうじゅうき]』の中に、仏法を護持する16人の羅漢さんの名を挙げています。

羅漢さんは民衆と共にある仏者です。詳しくは「阿羅漢[あらかん]」といい、「人々の供養を受ける資格のある人、尊敬に値する人、悟りを得た人」という意味で、仏教の究極的真理を会得した最高の聖者に付けられた名称です。
当山の「羅漢山」という山号と「宝住寺」という寺号は、恐らく慶友尊者の『法住記』に由来するものと考えられます。

羅漢さんには、16、18、500とその数に種類がありますが、当山では16羅漢に、『法住記』の著者である慶友尊者と、第1尊者の賓度羅跋羅堕闍尊者(ビンドラバラドバージャさま)の変身から生れた賓頭盧尊者(ビンズルさま)を加え、18羅漢として裏庭の「大心字庭」にお祀りしています。

開創

永正年間(1504~1521)

本尊

釈迦如来坐像

開創由緒

宝住寺はその昔、当地にあった真言宗の井上寺がその始まりと考えられます。その後、明智光秀の丹波平定(天正8年・1580頃)に先立つ永正15年(1518)、開祖・教山至道禅師の寂年を元に永正年間(1504~1521)の開創と伝えられています。

開祖の寂後450年して、第16世・義海和尚が境内に遷座した薬師如来坐像(綾部市重文)は、真言宗の開祖・弘法大師(空海)の弘めた薬師信仰に由来し、井上寺の本尊であったと考えられます。
その後、宝暦3年(1753)に隣刹の2ヶ寺とともに、綾部藩主九鬼隆季公の菩提寺・隆興寺(正保4年・1647開創)の末寺となり、明治21年(1888)には他の寺院とともに大本山妙心寺の直末[じきまつ]となりました。

堂宇は、元禄12年(1699)に火災のため消失したものを恒雲梵沙和尚が再営。さらに寛政2年(1790)に観法祖伶和尚が再建立されました。しかし、210有余年の星霜を経て堂宇の損傷も激しく、平成16年(2004)に義海和尚が本堂並びに諸堂を再建、弟子義方の代に庫裡を新築、駐車場を整備し全山の景観を一新しました。

歴代住職

開 祖 教山至道和尚  永正15年(1518)3月8日遷化

開山禅師像

第2世 前住玉叟文玖和尚  元禄7年(1694)9月8日遷化

第3世 慈山文陽和尚  元禄10年(1697)2月5日遷化

第4世 玉山古玲和尚  元文5年(1741)10月23日遷化

第5世 中興恒雲梵沙和尚  宝永2年(1705)9月23日遷化

元禄12年(1699)に消失した本堂を再営した。

第6世 玄性哲津和尚  享保13年(1728)7月21日遷化

第7世 戒白智巌和尚  没年不詳12月14日遷化

第8世 中興観法祖伶和尚  享和元年(1801)9月6日遷化

越中(富山県)砺波市安川の薬勝寺(現・国泰寺派)の弟子。第5世梵沙和尚の再営した本堂を、寛政2年(1790)再建立した。その由来は旧本堂棟札背面に現存する。

第9世 前住穆洲恵文和尚  天保10年(1839)1月1日遷化

薩摩(鹿児島県)の人。文政6年(1823)観音堂を再建した。観音堂小屋裏に棟札が現存する。

第10世 聖洲玄廓禅師  慶応2年(1866)5月7日遷化

舞鶴・東山寺12世・天猷玄喝和尚の弟子。

第11世 大寰致敬禅師  明治31年(1898)3月27日遷化

俗姓は関氏。明治2年の入寺。

第12世 観月元孝禅師  大正14年(1925)2月21日遷化

愛知県中島郡祖父町の人。旧姓は渡辺氏。滋賀県犬上郡高源寺の高森月應和尚の弟子となり高森氏に改姓。実弟は西福院第8世・珉山祖璞和尚。

第13世 貫道宜徹禅師  昭和14年(1939)10月16日遷化

島根県平田市西代町の人。旧姓は桑原氏。12世・元孝和尚の弟子となり高森氏に改姓。旧石段を整備する。

第14世 文英正圓禅師  昭和19年(1944)7月18日遷化

岐阜の人。姓は稲葉氏。太平洋戦争にて戦死。

第15世 特授再住大義豊昌禅師大和尚  平成19年5月5日遷化

愛媛県生まれ。姓は佐野氏。昭和19年(1944)入寺。38年(1963)本師・後藤伊山(伊山義豊)老師の後を受け京都法輪寺へ転住。16世義海和尚とは伊山老師の下で法兄弟。

第16世 特贈再住義海豊潤禅師大和尚  平成17年(2005)7月24日遷化特贈再住義海豊潤禅師大和尚

特贈再住義海豊潤禅師大和尚愛媛県生まれ。姓は河野氏。15世大義和尚の懇請により、昭和38年(1963)、長野県諏訪郡原村・深叢寺より転住。薬師堂・臥牛庵・鐘楼などの他、平成16年(2004)には現本堂を再建し閑栖となる。宝住寺の面目を一新した。

第17世 (現住職)河野義方(こうの ぎほう)現住 河野義方

昭和55年 明治大学卒業、大手旅行会社就職
(現住職)河野義方昭和61年 聖福寺専門道場掛搭
平成元年 花園大学編入
平成 3年 財団法人禅文化研究所入所
平成13年 宝住寺住職就任